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「子供を英語バイリンガルにするには教育移住すればよい!と気づいた日~教育移住日記①」からぜひお読みください。
当日朝、発表会に出たくないと言い出す
一学期終了を控えた8月、移住して3か月後、学習発表会が行われることになった。the Culmination day(カルミネーション)と言って、Culmination=集大成を見せてくれるというのだ。フィリピンのこの幼稚園は3学期制で各学期が終わるごとに行われる。我が子にとっては初めての経験だ。
年中組に所属する太郎のクラスは、教室の半分をステージ、もう半分を観客席に見立て、保護者に発表するという。彼らは「コミュニティと自分」というテーマで最近は取組みを続けていた。
太郎は、将来なりたい職業として警察官の格好をしてステージに上がるというので、インターネットからフィリピン警察のワッペン柄をダウンロードし、用意した青っぽい上下の服に貼り付けてやると大喜びしていた。
ところが、当日朝になって「行きたくない」と泣き出した。ステージで一人ずつ、自分の名前と将来なりたいものを英語で発表するのが嫌だという。でも今回も、とりあえず幼稚園に来ることまではできた。
担任のティーナ先生に太郎の様子を伝えると、「タロウ!あなたは練習でできていたから大丈夫だよ」と言ってくれた。先生によれば、練習では「マイネーム イズ タロウ モリタ。アイ ワナ ビー ア ポリスマン」ときちんと言えているという。
しかし、太郎は家に帰りたがった。結局、写真撮影に参加したり、太郎たちが作った成果物を一緒にながめたりするうちに、開始時間となった。
発表会スタート
音楽が流れ、子どもたちがステージに並び始めた。すると太郎は、私の手を離さないままステージに上がっていった。
え~。小さな子どもたちの中で巨大な私が交ざり、保護者の皆さんと対面する形になった。恥ずかしいが、気にしていられない。太郎はきちんとやり遂げられるのだろうか?
歌や踊りの間も、私は太郎と手をつないだまま、ステージの上でしゃがんで待たざるを得なかった。なんと、太郎は「ぼく帰りたい。ぼく帰りたい」と日本語でつぶやいている。しかしステージから降りようとはしない。
いよいよ、子どもたちが一人ずつマイクの前に立って発表する時間になった。小さな子どもたちの話す英語はかわいらしく、本来なら私は観客席で楽しめたはずなのだが。
親子で号泣
ついに太郎の番だ!太郎は、ここでも私の手を離さず、前に進み出てマイクに向かった。
ところが、太郎の口から出た言葉は、英語ではなく日本語だった。
「話したくな~い。ウェーン(泣)」…以上。
ひょえ~。
でも、客席の保護者の皆さんは、それまでの太郎の様子でこの展開を察していたようだ。太郎の日本語の意味は分からなかったはずだが、「オーケー、オーケー」「グッジョブ(よくやったよ)」と、他の子に対するのと同様、大きな拍手をしてくれた。
保護者のみなさんの温かい拍手が私には思いがけず、緊張が解けたタイミングとも重なって、まだステージの上なのに不覚にも私まで涙が出た。
小さな太郎が、結局はできなかったけれど、とりあえずこの時間を乗り越え、がんばったことに感動した。
それに、こんな失態は異言語の苦労をしたことがないほとんどの保護者に理解されないと思っていたが、そんなことはなかった。誰だって、子どもには得手、不得手があることを、子育てを通して分かっている。うまくできなくて悲しんでいる子を見たら、励ましてくれるものなのだ。
みなさんが太郎に盛大な拍手と声援を送ってくれて、私にはとてもありがたかった。
昔、関西弁で不登校になった私
話はそれるが、私は小学1~2年生時は不登校児だった。
大阪の幼稚園に通っていた私は、その後、親の転勤で札幌に移り、小学校に入学したが学校になじめなかった。大人になってから気づいたが、関西弁を当時話していた私は、言葉の違和感も感じていたのだろう。
毎朝「学校に行かなくちゃ」「でも行けない」のはざまで、消えて無くなりたいくらい辛かったことを40年たった今でもはっきり覚えている。
母はありがたいことに私を公園に連れ出して気分転換させてくれた。あの頃、私は自分だけが学校に通えていないこと、それではダメなことを誰に言われなくてもよく分かっていて、自分で自分を責めていた。そんな私に必要だったのは、学校に行っていないことを忘れられる楽しい時間と、こんな私の存在を肯定してくれる温かい家族だった。
(その後、父が他区に自宅を購入したのを機に転校し、友達ができて、私は学校が大好きになった)。
教育移住に焦りは禁物
今、言語の違う幼稚園にいる我が子の困難は、訛り(なまり)うんぬんで悩んだ私の比ではないはずだ。周囲の言っていることすら理解できないのだから!
それなのに毎朝、幼稚園に通うのを嫌がらない。言葉が分からないなりに楽しめている様子も見られる。それだけでも「あんたは、えらい」と心から思える。
異国の幼稚園にたたずんでいるだけで、我が子は今まで知らなかったことを見て、聞いて、感じて学んでいる。多様なことを「経験」として内に蓄えていることは明らかだ。今後、我が子がもし幼稚園に行きたがらなくても、絶対に無理はさせず、ゆっくり伴走してやろうと私は誓った。
ちなみに次郎と花子の成果発表会は、保護者と一緒に絵を描くことが中心で、難なく終了した。幼いほど、異国に馴染むのは容易である。(続く)
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