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「子供を英語バイリンガルにするには教育移住すればよい!と気づいた日~教育移住日記①」からぜひお読みください。
「幼稚園に行きたくない」に慌てたが…
入園して6日目の朝、太郎が初めて「幼稚園に行きたくない」と言った。
その日は年中クラスの社会見学。みんなでミニバスに乗って出かける日だ。
大人だって、一人だけ言葉が分からないバスツアーなんてイヤだと共感できるだけに、休ませようかと迷った。でも意外にも、太郎は、弟たちを見送るだけと言って車に乗り、幼稚園までついてきた。ただ、担任のティーナ先生に誘われてもクラスに入る気配はない。
ところが、私が「幼稚園に通うのが大変なら日本に帰る?そうしたらもうビーチはないけどね」と言うと、「僕やっぱり今日、参加する」と、念のため持ってきた制服に着替え、さっさとクラスに入っていった。気持ちの切りかえは見事だった。
夕方迎えに行くと、本人なりに楽しめた様子。
「朝は眠たいから行きたくなかった」と照れ笑いしている。
本音か分からないが、明日からは通えるとの言葉にホッとした。
太郎の幼稚園の様子を見たら…
昼前に花子を迎えに行ったら、幼稚園の広めの廊下にバスケットゴールが置かれ、太郎のクラスの子どもたちが集まって、先生の前に座っていた。バスケットボールの試合をするようだ。
思いがけず太郎の普段の様子を見られることになり、私は花子を抱えたまま見学することにした。
太郎はちらりとこちらを見て気づいたが、動じることなく、すぐに先生のほうを見て話を聞いている。
フィリピンでは、バスケットボールが盛んだ。フィリピン中のあちこちの空き地や隙間スペースにゴールが置かれ、男性の若い人から中高年の方たちまで遊んでいる。
案の定、先生が「みんな、バスケは好き?」「お父さんとプレーしたことはある?」などと聞くたびに、クラスメイトは「イエース」と元気よく手を挙げる。
一方、太郎は周囲に合わせるということもなく、微動だにせず先生を見続けている。後で振り返ると、違和感のあるシーンで、ここに伏線があったのだ…。
先生は、これから行う試合のルールを説明していた。
先生「じゃあみんな、準備はいい?」
クラスメイト「うん、いいよ!」
先生「では、バスケをやろう!」
これで場は一気に盛り上がったが、太郎だけは、周りの子が立ち上がったのを見て、腰を上げた感じだった。
いよいよバスケが始まった。先生が4人を指名して2対2に分け、笛を鳴らしてスタート。幼稚園児ならではのルールで、ドリブルはしなくてよく、単にボールを奪い合ってシュートするだけだ。
ゴールも、子どもたちの背よりちょっと高いくらい。ボールの扱いが上手な子も、そうではない子もいたが、どの子も楽しそうにプレーし、観戦するクラスメイトもワーワー、キャーキャーと声を上げて盛り上がっていた。
次に指名された4人、その後の4人などと続き、最後に、太郎を含む4人が指名された。太郎が最後のチームになったのは、授業を目で見て理解するための時間を少しでも確保しようという先生の配慮に違いない。
ゲームが始まってすぐ、太郎の足もとにボールが転がってきた。チャンス!太郎はそれをすぐに拾い上げた。
園内では英語以外は話してはいけないルールとなっている。でも、これなら大丈夫、と私は「太郎、シュートー」と英語っぽく声援を送った。
英語が分からないで幼稚園にいる様子にあ然
ところが、なんと、太郎は拾い上げたボールを審判である先生に手渡しに行った…。
さすがの先生も不意をつかれた表情だ。慌てて「タロウ!プレー!(バスケをしなさい)」とジェスチャー交えて言ってくれたが、太郎はボールを持ったまま、先生の顔を見上げている。
すぐに、他の子が太郎からボールを奪い取り、バスケは続いた。太郎は2~3分のゲーム時間ずっと、何が何だか分からないという感じでコート内につっ立っていた。
私は「太郎、ボールを取って、ゴールに投げなさ~い」と、英語以外を話してはいけないルールを無視して日本語で何度も声をかけたが、太郎は足が動かないようだった。
太郎たちの対戦が終わり、授業は終了。先生の後ろに並んで、全員がクラスに戻っていった。どの子もバスケの興奮が抜けきれず、投げるジェスチャーをしたり、大きな声で笑いあったりし、中には、うるさすぎて先生に注意される子もいた。
でも私には、怒られている子がむしろ羨ましく、先生の後ろにきちんと並び、静かに教室に戻っていく太郎が憐れ(あわれ)でしょうがなかった。
一生懸命、先生の目を見て話を聞けば、何か一つくらいは意味が分かるのではないか、と子供なりにがんばって行動しているのだろう。でも、現実は厳しい。
結局、日本で英語を習ったことがなく、それまでバスケットボールとも縁がなかった太郎には、英語で新しいことを学ぶのはまだ無理なのだ。
クラスメイトは4、5歳児で、できない子をからかう雰囲気はないのが不幸中の幸いだ。
――太郎はまだ小さいから、恥ずかしくも辛くもないみたいだし大丈夫。私が留学した時は20歳で、英語ネイティブスピーカーのクラスメイトの前で死ぬほど恥ずかしい思いを何度もした。見ているほうがいたたまれないぐらいの悲惨さだった。我が家は今、英語圏に来て正解だ。
――いや、太郎本人が希望して来たわけではない。友達としゃべったり、遊んだり、みんなで一緒の集団行動を楽しめる時期なのに、私はそれを取り上げてしまった。どうして太郎は毎日、幼稚園に嫌がらずに行けるのだろう。あぁ、先生や友達の話すことが理解できるくらいに、英語力を瞬時にアップしてやれたらなぁ。
私は花子を抱えているのも忘れ、もう誰もいなくなった廊下にたたずんでいた。(続く)
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