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「子供を英語バイリンガルにするには教育移住すればよい!と気づいた日~教育移住日記①」からぜひお読みください。
移住初期、親は日本語でおしゃべりできるが子供は…
入園してひと月もたつ頃には、私は幼稚園の送り迎えで顔を合わせる日本人のお母さん4人全員とあいさつを交わせるようになっていた。
同じ日本人というだけで打ち解けられるのは海外にいる良さだ。みな、この幼稚園やセブのことをよくご存じなので、私の日々積み重なる驚きや疑問に快く答えてくださるのがありがたい。つい毎日、誰かと立ち話をしている。
一方、うちの子どもたちは、日本の保育園を辞めた2か月前から、日本語でお友達と話していない。外国人のお友達もまだできないので、友達と遊ぶこと自体がない。幼稚園で出会う日本人のお子さんは、みな外国人の子と英語で遊んでいるので、特に太郎は輪に入りづらいようだった。
日本人家族を招待してみた
そこで休みの日に、幼稚園の日本人の親ごさんとお子さんを我が家にお誘いしてみた。
日本にいた時は、自宅に友達を呼んだことはない。家は狭いし、散らかったまま。子どもたちの面倒を見ながらもてなす準備をするのは、私には不可能だった。でもメイドさんがいる今なら、心配不要だ。
当日、3家族がいらしてくださり、我が子を合わせると総勢9人の子どもたちとなった。太郎、次郎、花子の大興奮は、見ていておかしいくらいだった。
喜びが大きすぎて、無意味に家の中を端から端まで走り始めた。いらしたお子さんにも興奮が移り、みんなが歓声をあげながら太郎たちについて走りまわり、家の中は大混乱。
おしゃべりで盛り上がり始めていた私たち親は、「家の中を走ったら危ない、危ない」と大慌てで、予告していたプラスチックプールに水を張り、水着に着替えた子どもたちを収めた。
いつもは英語で外国人のお友達と楽しそうに話しているお子さんたちが、今日は上手にたくさん日本語でおしゃべりしていた。太郎、次郎ともすぐ意気投合し、お互い楽しそうで、見ている私も嬉しくなる。普段は親にべったりの花子でさえ、子どもたちの輪から抜けようとしない。
お会いしたことのなかった小学生のお兄ちゃん二人が、小さな子どもたちと上手に遊んでくれたのも良かった。太郎も次郎も、日本では小学生のお兄ちゃんと仲良くなる機会はなかった。尊敬の念がこもった声で「◎◎くん」と呼び、後ろをついて歩くさまがいじらしい。
その後も日本人のご家族に遊びに来ていただくようにしている。年齢を超えて楽しめるカードゲーム「UNO」などをしながら、親も子も日本語のおしゃべりを満喫している。(続く)
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